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世間は気にせず自由にやりましょ

カフェでブログを書いています。ぼくは2人がけのテーブルに座っています。向き合って2人で座れるタイプです。それが何席か並んでいます。

2人席はぼくの隣だけ空いています。近くに4人がけのボックス席が1つ空いています。

 

子供連れの家族に席を譲る

そんな状況で子供連れのお母さんがやってきました。子供は3歳くらいでしょうか。その子供は2人席に座りたがって「こっちー」ということを母親に要求しています。

 

お母さんは「今、おばあちゃんも来るから4人席じゃないとダメ!」と言っています。それでも子供は2人席に座りたくてずっと駄々をこねています。子供って不思議なもので、たまにこういうワガママを言うんですよね。

 

ぼくは自分の席をすぐに譲って、となりの空いてる2人席とくっつけて、そこにおばあちゃんと3人で座ってもらいました。ぼくは遠くの2人席へ移動。お母さんに「ありがとうございます。」と言っていただき、その場を去りました。

 

ほんの些細なことですが、いいことできてよかったです。

 

そんなことも最近までできませんでした

でも、こういうことをできるようになったのは最近なんです。昔はなかなかできませんでした。周囲の目を無駄に気にしてしまうんですよね。自意識過剰というやつでしょうか。この考えは非常にダメで、行動が不自由になってしまうんですよね。そんなくだらない考えは、色々な本を読んだりして解消してきています。まだまだですけども。

 

大学のころに読んだ「人間失格

人間失格

人間失格

 

 ※Kindle版は無料なのでオススメです

 

太宰治の自伝的小説なのです。以下のような一節があります。

 

世間とは個人じゃないか

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」  世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、 「世間というのは、君じゃないか」  という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。


(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

 

 けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。

 

この一節が好きなんですよ。これを読んでからは少しは周囲の目というものを気にしないように意識するようになりました。まだまだですけど。

 

さらには以下の本も

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

本書では「嫌われる勇気を持つことこそが、自由になるために必要」ということが述べられています。

 

大人になり、少しずつ人目を気にしなくなってきました。会社を辞められるのも、少しはそういう感覚が役に立っています。理想は昔の「オバタリアン」ですね。あれくらい人目を気にせず自分のやりたいことをやりたいです。

 

思いつきで書きました。

 

※ 本記事の趣旨から逸れますけど、友人Facebookでシェアしてくれた記事(電車内でYouTubeに子守をさせている親)も見て考えさせられました。人目を気にせず、親子連れには優しくしたいですね。