会社での仕事に嫌気がさし、今後どうやって働いていけばよいのか見えない中で色々な本を20〜30冊くらい読みました。その中でも特に気に入った本です。社会情勢の変化、環境問題、テクノロジーの変化などに伴い働き方をどのよう<シフト>していくとよいかが書かれています。
働き方の<シフト>は以下の3つです。
第一のシフト
ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ
第二のシフト
孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ
第三のシフト
大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ
これらについて自分なりに思ったことを書きます。
(以前の記事で書くことは宣言していました。)
第一のシフト
ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ
第一のシフトについては以下のように述べられています。
P.241
専門性の低いゼネラリストは特定の企業以外で通用しない場合が多い。しかも専門性の低い技能は、Googleなどで調べれば簡単に得ることができるようになってきている。終身雇用や長期雇用が揺らいだ世界では、こういうタイプの技能しかもっていないことは大きなリスクとなる。
高度な専門技能と知識を身につけ、そのうえ、リスクを回避するために、複数の専門分野に習熟しなければならない。ひとことで言えば、連続スペシャリストになることが不可欠なのだ。(一部要約して引用)
自分の場合に照らし合わせてみると、会社の中で基盤系エンジニア、アプリケーションエンジニア、人事を経験して、社内人脈を築きゼネラリストとしては成長してきたかもしれません。ただ、リストラ的な制度が社内で実行され始めています。自分が今後その対象にならないとは言えない状況です。このまま会社に依存するのは大きなリスクだと感じています。
だだし、どのような専門的なスキルをどのように習熟していくかはまだ見えていません。しかし、そんなにものすごい専門スキルではなくてもやっていける、という考えもあります。周囲の人たちよりも、少しITに詳しかったり料理ができるだけでも、十分に小さな仕事を立ち上げるチャンスはあると考えています。今後どうスキルを身につけていくかはまだまだ課題です。そんな状況で、会社を辞めることは決まっています…
他にも読んで感じたことをピックアップしていきます。
産業革命後の働き方
P.239
産業革命後、職人と農民の多くが都会の工場で働くようになり、人々は工場の歯車になった。機械普及に伴い、仕事は最小単位に分割されて、限られた技能しかない人物でも働けるようになった。現場で必要とされたのは、「作業時間」を会社に提供することだけ。(一部要約して引用)
この部分を読んで、先日読んだ『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』を思い出しました。労働力を提供して、こき使われる状況にならないためにも、やはり自前の「生産手段」をなんとかして手に入れたいです。
あくまでも「好きな仕事」を選ぶ
P.262
未来が予測どおりになる保証がないことを考えれば、自分が好きなこと、そして、情熱をいだけることを職業に選ぶのが賢明だ。年金制度に頼れず、ずっと先まで働き続けるとしたら、本当に楽しめる職業を探したほうがいい。そのほうがエネルギーをつぎ込めるはずだ。(一部要約して引用)
年金は期待できない。ずっと働いていくことになると思っています。すでに自分の父親も年金だけではなく自分の仕事からも収入を得る生き方をしています。そうなったときには、できれば好きな仕事をしていたいと思っています。嫌な仕事をやり続けてエネルギーが枯渇し、ほとんど生きてる意味を見出せない経験がありました。
カリヨンツリー型のキャリアを築く
P.294
今後主流になるのは、いくつもの小さな釣鐘が連なって職業人生を形づくる「カリヨン・ツリー型」のキャリアだ。精力的に仕事に打ち込む期間と、長期休業して学業やボランティア活動に専念したり、仕事のペースを落として私生活を優先させたりする期間を交互に経験し、ジグザグ模様を描きながら仕事のエネルギーや技能を高めていくのである。
これにより、自分のエネルギーや関心の変化に合わせて、さまざまな働き方や職種の選択肢を柔軟に選びやすい。
今は完全にエネルギーが枯渇している状態です。ここらで少しお休みを入れたいと思っています。仕事に対する関心も昔とは変わってきています。大企業の業務システムを作るということにやりがいは感じません。大企業の不正や大量消費に加担するのは嫌です。生きていく中で関心が変わっていくのは当然です。同じ会社で昇進していく、というキャリアは全くイメージできません。「カリヨン・ツリー型」のキャリアを歩んでいきたいと今は思っています。
次は第二のシフトについて書きたいと思います。