40代サラリーマンのぼやき

思いついたことを書いてます。雑記です。

仕事をがんばることを一度諦めたが、改めて頑張ってみようと考えている

ここ数日、毎日仕事について書いている。

以下の「神モチベーション「やる気」しだいで人生は思い通り」を読んで、少しずつモチベーションを上げるにはどうしたらいいか日々試行錯誤している。

 

 

先週末に自分の体調不良(げっぷが止まらない。食欲不振)によりデートが中止となり一気に読んだが、試してみる価値のある部分がいくつかありそう。

とりあえずギャップモチベーションという考え方は試してみたい。ここ数年は長時間労働になることはほぼなく、比較的自由な生活をさせてもらっていて、食うには困らない給料をもらっていた。

現状にほぼ満足している状態が続き、モチベーションは小康状態。仕事に対して何か情熱を持って取り組むということは無かった。

 

欲は持たないほうがいいという考えだった

大学時代に読んだ名著「カラマーゾフの兄弟」の一節で「世の中には欲望を掻き立てようとする人はたくさんいるが、その欲を具体的に満たす方法を教えてくれる人はいない」といったような意味の一文があったのを覚えている。

また、2008年くらいの日経新聞で「世の中はCMや広告など、人々の欲望を刺激する情報で溢れている」というような記事もあった。

2015年に前職でうつ病一歩手前になり残業禁止令が出てあらるゆ書物を読んだときは、もう現代の資本主義の中で欲をかいて労働をして、という生き方は無理だと感じた。

これによって、2016年に退職してからしばらくの間は、ほどほどに稼ぎ、ほどほどに使い、欲をかかずに幸せな日々を過ごしてきた。

物や金は最低限でよい。車はいらない。服・家は最低限快適に過ごせればいい。大事なものは友人、健康、睡眠、趣味、運動。そしてそららに費やすことのできる十分な時間。そのためには仕事はそこそこにやる。

そういう価値観でやってきた。

 

価値観の転換により資本家側に立ちたい

しかし最近は少し価値観に変化があった。上記の価値観に転換したのが2015年。それから7年経過した。労働者として長時間働いて高価なものを買い、時間が無い生活は絶対にしたくないのは今でも考えとしては変わらない。しかしそれは資本家から搾取される側で一生懸命になり続けることの無意味さを感じていたから。

最近は資本を持つことのすごさを実感している。間違えて2011,2012,2013年に都内の投資用ワンルームを購入してしまい、購入時は恐らく含み益が大きかったはずだが、気づいたら含み益がなかなかのところまで来ていた。

昨年は2件売却して600万ほどの利益になった。

何もしていないのに600万円が入ってくる。これが投資の力かー。

インデックス投資についても学び、長期で見ればかなり着実な投資だということを学んだ。不動産とインデックで資本家側を目指したい。

決して高価なものが欲しいわけではなく、労働者として働かなければならない義務をなくしたい。。。

 

家族を持つかもしれない

久しぶりに彼女ができた。いつもなら「結婚してしまうと、より働かなければならなくなって、また労働者として死ぬ思いをしなければならない」という恐怖感があったが、今はちょっと違う。家族を食べさせるために働くというのは男性として本能なのかもしれない。労働者としては10年ほどだけ働いて、その間に自分のビジネスを育てて法人をつくり、不動産を所有して徐々に資本で生きていく方向を目指してみるのもいいかもしれないと思っている。

その道は険しいかもしれないが、何も目指さない、何もチャレンジしない人生もなんだかなあ、という思いもあるので。

 

 

今回も思いつくまま書いてしまった。「神モチベーション」再読して、もうちょっと具体的な1年、3年、10年先の目標を考えて、それに向けて情熱を持って動きたいと思う。