40代サラリーマンのぼやき

思いついたことを書いてます。雑記です。

人と比べることでしか幸せを感じられない人間にはなりたくない。

前回の日記と同じで、日本に生まれた自分は幸せなんだと思う出来事ことがあった。

 
ミャンマーのバガンから50kmほど離れたポッパ山という観光地に行った。草原の中に伸びる一本の幹線道路。タクシーをチャーターして向かう途中、道路沿いに数十メートルおきにポツポツと人が立っていて、車が通るとスッと手を伸ばす。物乞いらしい…
 
街中を歩いている最中の物乞いは見たことがあるが、幹線道路を移動中の車に対して何人もの物乞いがいる光景を異様に感じた。
 
ふと思うこと。
 
貧困になってしまった人を「本人の努力不足」と言ってしまうのは間違いだと思う。(日本では「自己責任」の風潮が強いような気がするけど)
もし自分が彼らのような環境で生まれたら?民主化されていない時代にミャンマーの片田舎で生まれて学校に行けない環境で過ごすことになったら、今の日本でしているような生活は絶対に不可能だった。努力しても這い上がれないだろうし、そも努力の意欲を削がれてしまうかもしれない。
 
自分は働こうとすれば働くことができるという環境にいるということが、どれだけ幸せなことか。それを忘れないようにしておきたい。そうすれば、働けることに感謝して過ごせていけるかもしれない。
 
そんなことを考える一方で、こうやって自分よりも恵まれていない人たちを見て、相対的にでしか自分の幸せを確認できないというのはよくない。そんな考えでは、せっかくミャンマーでいい考えを得られたのに、日本に帰ってFacebookを毎日見ていたら、相対的に自分を不幸に感じてしまうかもしれない。
 
人と比べることで幸せを実感する体質が強くなってしまうと、最終的には人種差別などで優越感を得ようとしてしまうかもしれない。そうはなりたくない。
 
恵まれていない人を見たら「自分は幸運だ」と思い、そうでない人を見たら、「あ、そうなんだ。(無関心に近い)」と思うのがいいのかな。
 
外部からどんな情報を得たとしても、自分にとってプラスになる受け止め方でいこう。都合のいい考え方と思われるかもしれないけど。