40代サラリーマンのぼやき

思いついたことを書いてます。雑記です。

自己紹介します

(2016年6月更新)

 

プロフィール

1983年茨城県生まれ。B型。地方国公立大学院卒業後2008年4月に東京の会社でシステムエンジニアとして就職。6年目からは畑違いの新卒採用担当となる。2016年1月末に会社を辞めて、国内外(フィジー、フィリピン、ニュージーランド、日本)で半年ほど休暇を取得。その後はまた東京で働く予定。サッカー、ビール、読書、自由が好き。

 

最近興味があること(順不同)

農業、バー経営、民泊運営、英会話、クラウドソーシング、SNSについて、プログラミング、サッカーコーチ、サッカー審判、お酒作り、高齢者のIT利用支援、地域おこし協力隊、半農半X、ナリワイ、田舎への移住、複業、メディア運営、料理、メディア運営

 

長めのプロフィール(生い立ちとか)

【幼稚園時代】

1983年生れです。バブルが崩壊するのが1991年ごろなので、それよりも前の少しよい時代を経験していることになります。

 

この時期、年長時代に身長が130cmあって、とにかくデカかったです。(恐らく周囲の子は100cm未満が普通)

テレビゲームとサッカーが大好きな少年だったと思います。

 

【小学校時代】

相変わらずテレビゲームとサッカーが好きでした。

サッカーは市内の選抜チームに入ってレギュラーとして活躍していました。Jリーグが開幕したこともあって、将来の夢はプロサッカー選手。

テレビゲームは「ドラゴンクエスト」とか「ファイナルファンタジー」などのRPGが好きでした。それ以外にも桃太郎電鉄とかも好きでしたが、友達にゲーム中でいじめられて(執拗にキングボンビーをなすり付けられた)泣いて帰った記憶があります…

この時期に家には親戚からもらった古いPCがありました。それを使って「BASIC」などというプログラミングを経験。1年くらいでやらなくなりましたが、この経験が後にIT系へ進むきっかけになることに。

 

【中学校時代】

テレビゲームをやる機会が減少。今思うと、減ってよかったと思います。逆にどんどんサッカーに打ち込むようになり、サッカー部のキャプテンをやりつつ、県の選抜にも選ばれるように。県の選抜にはJリーグのクラブチーム出身の選手もいましたが、そうしたメンバーとも対等にプレーできて大きな自信となりました。自分の中でのサッカー黄金期はこの中学3年生時代。本気でプロサッカー選手を目指していました。

しかし、中学入学時に173cmあった身長は3年間で3cmしか伸びず、身長だけでなくプレーレベルでも周囲に徐々に追いつかれていくことに。

 

【高校時代】

学校選びに失敗してしまい、苦難の3年間を過ごしました。いい友人はできたのですが、チームとしてのサッカーのスタイルやトレーニングが時代遅れ(全くパスを回さないでロングボール主体の戦術)なことに愕然。

身長の伸びも完全にストップしてしまい、高身長が売りだったプレースタイルは通用しなくなり、普通の選手に成り下がりました。このころ、サッカーには見切りをつけて、猛勉強を開始。なんとか地方国公立大学には進めることに。

 

【大学時代】

サッカーはもういいやと思っていましたが、出会った先輩がよい人ばかりで、まさかの体育会系のサッカー部に入部し、またもやサッカー漬けの日々。大学時代のサッカーは試合に出られない挫折の期間もありましたが、いい友人にも恵まれ、非常に楽しく過ごすことができました。

学問としては情報工学を専攻し、プログラミングやコンピュータアーキテクチャを学ぶ。小学生時代にプログラミングが楽しかった思い出があったので選んだ専攻。大学の授業でやるプログラミングは楽しかったです。

 

【大学院時代】

ITのプロフェッショナルになってやる!という意気込みで大学院に進学。しかし研究は非常に苦労しました。今でもこの時期の悪夢を見ることがあります。研究に関しては暗黒時代でした。(会社で仕事していて電話が鳴り「おい、お前最近研究室に来てないな。修士論文どうするんだ?」と言われる夢を年に数回見ます…)

 

研究で苦労しながらも県の社会人サッカーリーグには所属して、ここでも非常に楽しいサッカー人生を経験。高校でプロは諦めましたが、それ以降になって本当の意味でサッカーを楽しめるようになった気がします。

 

【社会人(システムエンジニア時代)】

入社してから6年間はシステムエンジニアとして働いていました。最初の4年間は「基盤系エンジニア」という立場で働き、死にそうになりました。

 

あるお客様のシステムユーザを全件削除してしまったり、土日関係なくシステム障害対応依頼の電話連絡がお客様からかかってきたりして、精神的にやばい日々が続きました。とうとう我慢しきれなくなって辞職を申し出たら他部署への異動を進められ、アプリケーションエンジニアとして少しは平和な日々を過ごすことができました。(やっぱり、たまにひどい時期もありましたが。)

 

そんな中、人事の新卒採用のお手伝いをする機会があり、数か月の間は面接などを経験。お手伝い期間終了後にアプリケーションエンジニアの仕事に戻ろうとしたときに、「よかったら人事に異動しないか?」という声をかけていただきました。今後の人生をシステムエンジニアとして働き続けることに限界を感じていたこともあって、人事へと異動することを決意。

 

【社会人(人事時代)】

人事に異動して新卒採用主担当の立場となりました。新卒採用業務はピーク時以外は暇だと思っていたのですが、それが間違いでした。もうこれでシステムエンジニアの激務とは決別したと思いましたが、新しい激務の始まり…

 

年中忙しいです。夏にはインターンシップがあるし、採用時期でなくても企画が大変なことになりました。

特に2016年春入社の採用からは採用解禁時期変更により現場は混乱。冬のインターンシップを実施しなければならなくなるし、世の中売り手市場で学生が集まらないし、さらには社内の人員削減の煽りもくらって相当な業務量となりました。

またしてもシステムエンジニア時代と同レベルの仕事量で、月間残業100時間超えの生活に。その結果、お医者様からついにドクターストップが入りました。残業禁止です。しかも新卒採用業務ピークの4月後半です。ここでようやく「この生活は何かおかしいぞ。このままではいけない。」と考え始めました。

 

【退職前】

お医者様のドクターストップのおかげで定時帰りができる平和な日々を過ごせるようになり、ゆっくりと今後を考える時間ができました。この時期からブログは開始。それからは仕事に関する本をいろいろ読んでみたり、働くことについて考えてみる日々を過ごし、ようやく会社を辞める決断ができました。このとき32歳。その経過はブログに書いています。

 

【現在】

会社を退職し、半年ほどは就職することなく国内外でのんびりする時期にしています。 あちこち行っているので、その様子をブログに書いたりしています。

 

ブログに書いていること

【読んだ本の感想】

本を読むのは好きです。小説、自己啓発、なんでも読みます。読むだけよりも、アウトプットしたほうが頭に残るし、今後読み返す時に参考になるのでブログに残しています。昔はmixiのレビューを書いていました。それを再開するようなものです。

 

【仕事について】

辛いこと、楽しいことがありました。激務を経験して、仕事ということについて本気で考え、会社を辞めるまでの考えを書いています。

 

【国内外の旅】

2016年3月からは国内外にあちこち行っています。フィジー、フィリピン、ニュージーランド、日本でのいろいろな経験を書いています。

 

【その他なんでも】

日常の中で考えたこと、感じたことをなんでも書いてます。雑記ですね。

 

 

ブログはほぼ毎日更新しています。是非ご覧ください。