40代のさいたま大家への道

なかなか不動産投資を始められない様子を書いてます

東日本大震災被災地を巡る旅その4(南三陸さんさん商店街から南三陸町役場への移動、被災地の風景)

ちょっとずつ、のんびり書きます。

 

前回の続きです。 

akio130.hatenablog.com

 

キラキラ丼を食べて、「南三陸さんさん商店街」から南三陸町役場へ移動しました。

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途中、市街地があったであろう道からの風景です。

 

コンクリートの建物が1つしか残っていない風景。

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ガソリンスタンドらしき建物。

骨組以外、全て流されてしまったのでしょうか。

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あちこちの海岸で工事が行われていました。

 

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町役場周りは、病院や住宅地を作るための工事現場だらけ。

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復興ってそんなに進んでいるわけではないし、そんなに簡単には終わらないんですよね。当然ですけど。

 

ちなみに途中で通った志津川駅という駅は、完全に流されてしまっていて、何もありません。線路はあったかもしれませんが、周囲には人の気配は全くありませんでした。上記の写真のような雰囲気です。

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「ああ。ここには小さいながらも町が存在したんだな。」というのを感じました。こうも簡単に自然の力で無くなってしまうものなんですね。

 

そんな、実際の被災地の風景を見ながら。南三陸町役場に到着しました。ここで、友人Aとはお別れすることにしました。ありがとう。ここで自動車移動は終了。

 

今更ですが、友人Aの紹介。友人Aは、大学時代の同級生で、同じ学科でした。大学を卒業してからも、遠く離れていても、年に1回くらいは飲む間柄です。ぼくのワガママにけっこう付き合ってくれるいい奴です。

 

最近は同世代がみんな結婚したり、それに近い状態になっていたりして、気楽になかなか誘えないことが多いです。そんな中、彼女といるのに、無計画な行動に付き合ってくれたことは、本当に感謝しています。

 

しかし、30歳を超えたら友人を誘うときは気を付けないといけませんね。もう大学のころのように、いきなりのお誘いは難しくなってきました。さすがに次回会うときは、もうちょっと予定を伝えてから会うことにしようと思います。迷惑かけてごめんなさい。

 

次の移動は「BRT」と呼ばれるバスで移動を始めすことになります。

 

今日はここまで。ちょっとずついきましょう。

 

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