40代サラリーマンのぼやき

思いついたことを書いてます。雑記です。

雇われ仕事に多くを求めるのが不幸の始まり。給与だけを求める(長時間労働とストレス過多な仕事はダメ)

会社の仕事がなんかうまくかない日々。なんとかやれてるけど、このままではあと何年もつんだろう。と思っているときにこんな記事を見つけた

 

「仕事で自己実現しよう」という価値観を生み出した人々の正体。 | Books&Apps (tinect.jp)

仕事で自己実現したい人は一部のスタートアップの経営層や学者。それと、社員をこき使いたい中小企業の社長あたりが、「自己実現」を利用しているという。

 

自己実現という言葉は聞いたことある。でもぼんやりとしたもので、改めてそれって何かを確認してみる。

自己実現とは?心理学における定義と叶えるための5つのポイント

によると、現在では以下のように使われているとのこと。

 

「自己実現」という言葉は、今は

・理想や憧れの生活を送ること
・仕事もプライベートも充実させながら、目標に向かって進んでいくこと

といったように「充実した幸せな人生を送る」という意味で使われているケースが多いです。

 

なるほど。具体的にはそういう意味だったか。(上記では本来の意味での「自己実現」についても解説しているが、今回はその点は関係ないので割愛)

自分も会社での労働によって上記のような「憧れの生活」「目標に向かっていく生活」などを満たそうとしてうまくいかないことが最近続いていると感じた。

 

雇用されて行う仕事には給与しか期待しないほうがいい

そんなことを思いつつ、最近以下の本を読んだことを思い出した。

 

本書は1992年(今から約30年前!)に初版がアメリカで発行されている。その時代はFIREという言葉は無かったが、書いてある内容はまさにFIREについてのようなもの。会社の労働に忙殺される人生でよいのか?そこから抜け出すためにはどうしたらいいか?について書かれている。

今回読んだのはさすがに当時とは異なり2021年に刷新されたもの。昨今のFIREブームにも触れつつ、どうしたら自由に生きれるかについて書いてある。

個人的にはP289以降の内容が非常に勉強になった。

P.297)仕事では満たされることのない欲求を仕事で満たそうとしているのかもしれません。

P.301)雇われ仕事が果たすべき目的は1つしかありません。給与をもらうことです。

雇われ仕事の問題は、刺激、他社からの認識、成長、社会貢献、交流、意義を求める欲求が、その仕事によって満たされないことにあります。

雇われ仕事にこうした欲求を満たしてもらうことを期待せず、お金を稼ぐことを除くすべての目的は、給与の伴われない活動によって満たすことが可能だと発想を転換してみたらどうなるでしょうか

 

確かに、自分は仕事に多くを求めすぎていたのかもしれないと気づかされた。会社に雇われて行う仕事は、自分のスキルとストレスと、最も大切な時間を捧げることによってお金を得ているだけでしかない。会社に過度に何かを期待するのをやめれば、かなり幸せになれるのでは?

 

給与以外に得られるものがあれば得るのもいいが、それは期待しない。得られたらラッキーくらいのつもりで考えたらいい。

 

そういえば自分は前職を辞めて今の仕事についたときはそんな感じだった。長時間労働とストレスフルな仕事さえ回避できれば、最低限の生きていけるだけの給与がもらえればいいと割り切っていた。あのことろはかなり幸福感が高かったと思う。

しかしあれから5年ほど経過して、いつの間にかまた雇用された仕事の内容に、色々なものを求めてしまっていたかもしれない。

 

でも、やりがいは無いし、成長もいまいちできていない。達成感も得られない。

 

そんなものを雇用された仕事に求めているから間違いだったのかもしれない。本書に記載されている通りに、給与以外のものは、雇用された仕事以外のことから得るようにすればいいのでは?

しばらくは会社の仕事は期待しない。でも給与はいただいているのでその分はしっかり働く、という、多くは期待しない姿勢で臨んでみるといいかもしれない。そしてできるだけ長時間労働を避けて別の時間に目標などを設定して、そこで成長や達成感が得られるようにしてみると、また幸せになれるかもしれない。

 

自分が大切にしたいものは、筋トレ、不動産投資、家庭、友人、健康、睡眠、食事。

抽象的なものとしては、達成感、成長、やりがい、これらは雇用された仕事に求めるものではない。

 

雇われ仕事では給与だけもらえたらいい。

 

この意識を大切にしよう。