40代サラリーマンのぼやき

思いついたことを書いてます。雑記です。

仕事の報酬は何か。お金ではなく成長だと捉える。ただし、生命エネルギーを消耗しないように

仕事の報酬をお金だと考えるか、人間としての成長と考えるか。どうとらえるかで行動が大きく変わる。

 

仕事の報酬はお金という視点なら、最低限働くだけ

お金だと考えるとどうなるか。たくさん働いても給料は変わらない。たくさん働いてそれがもし評価されたら来年の給与やボーナスは増えるかもしれないが、評価されなければ意味ないし、会社の業績が落ちれば上がらない。だったら給料をもらえる最低限だけ働けばいいや、というのが一つの考え。この考えは「お金か人生か」の考えに近い。

 

本書では「雇われ仕事」の報酬は給与である。多くの人は仕事に社交や成長などさまざまなものを求めるが、それがそもそもの間違い、という観点で書かれている。「雇われ仕事は」その人の時間やエネルギーを消費してお金を得ているだけ。(本書では「生命エネルギー」と言っている)

それはそれでもっともだと思う。

振り返ってみたらなぜか1年前くらいにも似たような考えのことを書いていた。

会社の仕事には給与以外は求めずとにかく早く終わらせられると幸せかもしれない - 40代サラリーマンのぼやき (hatenablog.com)

 

仕事の報酬は成長だという視点なら、お金がもらえなくても働く

1年前に上記のような考えで「成長」を報酬としてとらえていなかった。しかも以下のようなことも書いていて、「成長」にフォーカスして仕事をするようになって、少しはマシになったけど、まだまだだとと書いていた。

いろいろ考えた結果ブログを再開してみることにしました - 40代サラリーマンのぼやき (hatenablog.com)

しかしやはり、成長を仕事の報酬だと考えるとどうだろう。この半年くらいで以下の本を読んで「仕事の報酬は人間としての成長。それは決して失われることの無い報酬」(P65)という部分を読んで、また改めて成長の大切さを感じた。

 

仕事の思想

仕事の思想

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今、自分の状況としては、ある一定の最低限の仕事をしていればお金は入ってくる。これ以上やっても入ってこない可能性が高い。この状況で仕事を頑張れるか?仕事の報酬を成長だと捉えると、どれくらいがんばるか変わってくる。今の仕事は色々な意味で困難。関係者も多い。自分の努力次第だけではない。一緒に働く人との信頼関係も連携もイマイチ。たくさん働いても成果を持っていかれる心配がある。気持ちよく働けない可能性が高い。情熱的に働ける可能性が低い。

 

選べるのであれば、成長できても生命エネルギーを消耗する仕事は避ける

書き出してみて気づいてが、「気持ちよく働けない」「情熱的に働ける可能性が低い」というのは、ちょっと厳しいかも。この仕事をやって成長につながるか?逆に自分の大事な生命エネルギーを消耗する可能性が高い?

 

書いてみてよかった。書く前は「お金がもらえなくても、仕事した方が成長するかもしれないから、もっと働こう」という考えになりそうだったが、情熱が持てなそうな仕事は生命エネルギーを失うだけで成長ではなくて衰退の恐れがある。

 

成長フォーカスで仕事をすることは大切だが、一方で生命エネルギーを消耗して衰弱してしまうような仕事は可能な限り避けて、情熱を持てて成長できる仕事を選ぶようにしたほうがいいかもしれない。